朝が来ても、夜は壊れず、世界は変わらないはずだ。 だが、己の中にある認めたくないものを認めてしまったら、世界は崩壊してしまうのだと思っていた。 誰も彼も青峰には勝てやしないのだと強く自負しながら。いつか誰かに敗れてみたいと、そんな願望を心内のどこかに抱いている自身の弱さや矛盾なんて、絶対に認めるわけにはいかなかった。 認められないものは、けして認めてはならない。 だから、青峰は火神のことも認めてなかったのだ、今日までずっと。 「テツ、俺は――」 |
第一章 認めたくないもの(1) (AOMINE) |
暗転した世界で独り走りながら、己こそが何者にも増して強烈な光を放っているつもりでいた。 もはや付いて来なくなった「影」を振り返ってやることもなかった。いや、「影」は青峰に付いて来なくなったわけではない。青峰にはパスなどもう無用だと、青峰が突き放したのだ。 青峰が青峰大輝としてのバスケを続けていく上で、それが間違っていたとは思わない。あのときの青峰には、そうするしか他になかった。 それに、独りで試合のコートを走る青峰の背中を「影」がずっと見詰めていることは知っていたから、そのことに青峰はどこかで安堵もしていた。コートで拳を合せることがなくなっても、こいつはやっぱり自分の「影」だと思っていた。「光」の青峰をそうしていつまでも見詰め続ける「影」なのだと、根拠もなく信じていた。 練習にはろくに出ず。 試合だけには出ていたが、もう「影」を振り返らず。 バスケではそんな状態だったけれど、コート外では黒子の手を放したつもりなど青峰にはカケラもなく、ともにいる時間もそれなりにあった。むしろ二人の間のバスケがそんな状態だったからこそ、執着していた部分もある。いつの間にか青峰の前で笑わなくなっていた黒子の様子に気付いてはいたが、それもまたどうしようもなかった。独りで走ると決めた己のバスケを曲げることも、黒子の手を解放してやることも、どちらも青峰にはできなかった。 ――中三の全中後、黒子が何も言わずにバスケ部から姿を消したとき、青峰は黒子を捜さなかった。 ずっと青峰の都合や欲ばかりを黒子に押し付けていた自覚があったから、捜せるわけがなかった。黒子が青峰に何も言わずに消えたということは、青峰はもう黒子にその理由を問う資格を失っていたということだ。ついに黒子のほうから青峰の手を振り払ったのだと、そう理解するしかなかった。 ただ、黒子がどんな想いで帝光バスケ部を辞めたにしても、高校でまたバスケを続けてくれたらいいな、とそれは思った。恵まれない身に絶望してもなお、帝光でバスケを続けてきたような奴だ。どれほどバスケ好きだったか。 だから、黒子が誠凛でまたバスケをしていると聞いたときは、よかったと、青峰なりに素直に思ったのだ。が、しかし。 『誠凛には、黒子っちの新しい光がいるっスよ!』 黒子の「新しい光」だという火神の存在を知って、青峰は後悔した。 そいつが黒子の「新しい光」などと呼ばれていることに、まずイラついた。かつての青峰と似ていると桃井から聞き、今の己を黒子に否定されている気がしてキレそうになった。そして、わざわざそいつの実力を試しに出向いてみれば。足の負傷があったとはいえ、まだ荒削りで、青峰の動きにろくに反応もできず、黒子の力を十分に引き出すこともできない程度の奴だと知った。青峰は落胆と失望をし、イラ立ちと腹立ちがさらに増した。そんな淡い光の野郎が黒子の「光」役をしているなんて、とても許せなかった。 もう黒子を放置できなくなって、インターハイ予選の決勝リーグ前に黒子に逢いに行きもした。 こんなバカげたことになるなら、中三のあのときに黒子を捜し出して捕まえておけばよかったと、後悔していた。 でも。 『お前の光は淡すぎる』 青峰が火神に対して度々使っていた言葉だ。 今、思い返すと、火神の実力のことなんて、本当は大して関係なかったのかもしれない。 火神の実力云々を何かしら理由にするとしたら、むしろ火神の潜在的な力や才能を感じたからこそ、なおさら青峰は火神を無視し難かったのだと言える。 青峰より強い奴など存在しないと思っていたから、「新しい光」とやらがどんな奴だろうと結果は同じだ。あのときの1on1の相手が火神でなくても――青峰が認めている他のキセキ四人以外なら誰だって――お前のそんな「淡い光」ではテツが「不憫」だと、青峰はきっと似たようなことを相手に言い放ったに違いない。 結果なんて最初からわかりきっていたのに、足を痛めている奴を挑発して1on1をふっかけるなんて暴挙をしたのは、青峰が事態を許容できずにいたからだ。そいつが誰だろうと、どんな実力だろうと、青峰の本音ではどうでもよかった。ただ、黒子が青峰以外の奴を「光」にしていること自体が、青峰にはどうしても受け入れられなかったに過ぎない。 ――テツは俺の「影」なのに、と。 コートで「影」を突き放して置き去りにしたのは青峰だ。 黒子が高校でまたバスケをしてくれたらと、そんな望みもした。 パサーに特化した黒子がバスケをするということは、誰かが黒子の「光」役をすることに繋がると、そんなのは青峰こそが一番よく知っているのに。いざ、それが現実になってみたら、青峰にはとても許容できるものではなかった。 だから、青峰は、1on1をしたあの最初から、火神のことを永遠に認めるつもりはなかったのだ。 『お前の光は淡すぎる』といつまでも言い放って。 己がどれほど身勝手で理不尽かわかっていても。認めたくないものを認めてしまったら、その世界は崩れてしまうから。火神がどうあろうと、どう成長しようと、認めてやる気など青峰にはサラサラなく、結局、青峰に勝てるのは青峰だけなのだから、そんな必要は全くないのだと思っていた。 誠凛は、練習試合とはいえ黄瀬のいる海常に勝ち、インターハイ予選で緑間のいる秀徳に勝ち、さらに、その秀徳とウィンターカップ予選で引き分けている。三年生がいない新設二年目のチームとして、ここまでの実績があるのは普通ではないだろう。その誠凛の一年生エースである火神もまた当然普通の選手ではない。 だが、それでも、青峰は火神を認めていなかった。 火神が黒子の「新しい光」だとは認めてなかった。 黄瀬や緑間のことは同じキセキとして当然認めているが、黒子の「光」役をしてそのキセキ二人に勝った火神だけは、どうしても認めるわけにはいかなかった。火神が才能(ギフト)の扉を開いたのを感じていても、火神を認めないことに関しては、青峰の中で全く変わらなかった。 『お前の光は淡すぎる』と、今日の試合中でもまだ、青峰はその言葉を火神に投げていたくらいだ。 もしも、青峰が火神のことを認めてしまったら。 火神が黒子の「新しい光」だと、それを認めてしまったら。 (そんなの認めたら) 黒子の白い拳を握る青峰の手に、知らず、力が入る。 「ッ、青峰く……?」 自販機の前で青峰に拳をつかまれて、黒子が困惑した顔で青峰を見あげている。 (そんなの認めたら……俺は、お前(影)を、本当に失っちまうじゃねーか!) 青峰が黒子のパスを必要としなくなり、黒子と拳を合せることがなくなっても。青峰の背を見詰め続けるこいつは、やっぱり己の「影」なのだと思っていた。たとえ黒子が青峰の前から姿を消していても、独りでバスケをする青峰をきっとどこかで見詰めているだろうこいつは、変わらず己の「影」だと思っていた。今日の試合中でさえも、青峰は黒子を‘自分の’「影」として扱っていた。黒子のドライブを破って、『お前(影)じゃ、俺(光)を倒せねぇ』とわざわざ黒子に声を掛けたくらいだ。 しかし、もう――。 (俺に勝ったんだ。もう……認めなきゃならねぇ) 一人のバスケットプレーヤーとして、己が火神に劣っているとは青峰は思わない。 火神個人に負けたわけではない。火神に「影」が付いていたからこそ、青峰は負けた。独りでバスケをする道を選んで「影」を突き放した青峰よりも、今日、「影」とともにバスケをした火神のほうが勝っていた。そういうことだろう。 だから、もう、青峰は、火神を黒子の「光」として認めなくてはならない。 それに。 「テツ、俺は――」 この清水のような双眸で青峰をずっと見詰めてきた、青峰の「影」。 「俺は、お前と、また」 「……っ……?」 黒子と、また――なんだろうか。 自分は何を言うつもりだ。 喉奥から感情とともに込み上がってしまったその言葉を最後まで紡ぎきれず、青峰は口を噤む。 黒子とまたバスケをしたいと願っても。己はもう黒子の敵にしか成り得ない存在だ。黒子とバスケをするということは、桐皇と誠凛として対戦するということである。だから、青峰が黒子と拳を合せることはもう二度とない。今日、コートで黒子に言った通り、『これっきり』なのだ。 (同チームで戦えねぇくせに、何が「光」と「影」だ) 現実を教えてやると黒子に言いながら、その現実を今まで直視できてなかったのは青峰のほうだったろう。 今の黒子の「光」は火神である。 こいつはもう、火神の「影」だ。 認めたくないものを認めてしまったら、そこで全てが崩れてしまう。青峰の中の「光」と「影」の世界は崩壊するしかない。こうしてつかんでいるこの白い手だって、本来なら、とっくに振り払われている。あの中三の夏、黒子が無言で青峰の前から姿を消したときに。 「青峰くん?」 「――……なんでもねぇ」 かぶりを振り、全身の力が急に抜けてくるのと同時に手もゆるめて、青峰は黒子の拳を放した。 空虚になった己のその手をジャージのポケットへと無造作に突っ込む。 「俺、そろそろ行くわ」 「……。あの、ポカリを、」 ポカリをありがとうございました、という黒子の声に生返事し、青峰は踵を返して自販機の前から離れる。二歩、三歩、とぶらりと歩いたら、ふと思い出したので、 「なぁ……テツ」 ついでのような心地で口に出してみた。 「やっぱ、今度、俺んちに来いよ」 これで何度目になるのか、もう忘れた。 半年前に黒子と再会してから機会がある度に、青峰はこの同じ言葉を黒子に繰り返している。黒子の返答もまた同じで、どうせ「絶対、行きません」だ。 青峰のほうからは黒子の手を放したつもりなどなかったし、あの中三のときに黒子を捜して捕まえておかなかったことを後悔していたから、こうして何度も投げかけている。 しかし、黒子からすれば、とっくに手を振り払った相手の家に何度誘われたって、そりゃ、行かないと答えるに決まっているだろう。しかも「絶対」付きじゃないか。 わかりきっている黒子の返答をもはや待たず、青峰は廊下をそのまま歩いていたのだが。 「……行きます」 返ってきたその小さな声に、足が止まった。 |
| § |
――「行きます」と。 己の耳が確かに拾ったその返答。 青峰は肩と胸筋で息を大きく吸い込み、ポケットに突っ込んでいる手をぎりりと握る。 この野郎、と思った。 もちろん、それは青峰が望んでいた返答ではあるが、俺に勝ったこんなタイミングで、お前はそう答えるのかよ、と。 込み上がった憤りとともに青峰は黒子を振り返る。 「……! テ……」 だが、その憤りは一瞬で霧消した。 自販機の前に一人残されて、青峰を見詰めて立ち竦む黒子。色素の薄い大きな双眸が水膜を張って気弱そうに揺らいでいる。それは、今にも泣きそうで、どこか縋りつくかのようで、でも堪えるように唇を引き結んでいて、まるで捨てられるのを悟っている小動物か何かのよう。 なんだよ、オイ、なんでだよ――と戸惑いながらも、青峰の手がジャージのポケットから無意識に出ていた。 青峰の前から勝手に消えたのはこいつだろう。高校で再会した後だって事あるごとに青峰から逃げようとしていたのはこいつだ。「絶対、行きません」と、ずっと青峰を拒んでいたのは、こいつのほうじゃないか。なのに、なんで、そんな自分が捨てられるみたいな顔を今のこいつがしてんだよ、と思う。 ああ、だけど、そういえば。 (そういや、俺は、こうやって、テツを) 独りでバスケをすると決めてから、青峰がこんなふうに己の後ろを振り返ったことはなかったのだ。 (バスケの後で、テツの顔を……見た覚えがねぇ) 「影」が青峰を見詰めているのを知りながら、バスケをしているコート上でも、その試合に圧勝した後も、青峰は「影」を顧みなかった。特にこんな試合直後は気分がいっそう荒んでいることが多かったから、余裕もなかった。独りで苛立って、独りでバスケに絶望して、自分のことばかりで、「影」がどんな顔をして青峰を見詰めているのかなんて青峰は見なかったし、むしろあえて見ないようにもしていた。 (くっそ……っ) 青峰の足が、一歩、黒子に向けて踏み出す。 青峰が一度でも「影」のほうをこうして振り返っていれば、何かが変わったのだろうか。己は今日の火神のようになっていたのだろうか。いや、青峰は火神ではないし、キセキ五人が帝光中に集中していた当時と、分散した今とでは、状況が全く違うだろう。一度や二度、振り返ったって、何も変わらなかった可能性のほうが高い。 けれども、青峰に突き放された「影」にしてみれば。 (くっそっ、ンな顔されたら、) 三歩、四歩、と少しずつ歩調を速めながら、青峰の足が自販機コーナーへと戻っていく。 (我慢、できねぇだろーが……っ) 「……青峰、くん?」 そう、この「影」にしてみれば、ずっと振り向くことのない青峰にバスケで自分のほうを向いてもらうためには、もはや青峰の敵となってコート上で対峙するしか方法がなかったのだろう。「影」の立場を考えてみればわかること。黒子のこの顔を初めて見て、それだけはなんとなく青峰も察した。 黒子が何も言わずに青峰の前から姿を消した理由がそれだったのか、他にも何かあったのかは知らないし、今さら問うても意味がない。でも。 「てめぇ……俺を、さんざん振り回しやがって」 こいつはやっぱり青峰のものだ。青峰を見詰めてこんな顔をしているこいつが、青峰の手を振り払っていたなんて、そんなワケあるか。 自販機の前まで戻った青峰は、力なく落ちている黒子の片腕を引っつかんだ。 「青み――」 強引なその勢いのまま、低い位置の肩を抱き込もうとしたのだが。 「……ハハッ、何ソレ、ホントかよ!」 閑散としていた廊下に人の笑い声が響いてきた。 「いやいや、ホントだって」 「うわー、やっべぇな!」 「そんでさー、そいつのカノジョがまた」 角の向こうから数人が談笑しながら近付いて来るようだ。ここは自販機コーナーであり、当然ながら人が寄って来やすい場所でもある。 邪魔が入ったと舌打ちし、青峰はつかんだばかりの黒子の腕を引く。もっとも、このコーナーへと歩を戻し始めたときから、青峰はもう場所を変えるつもりではいたのだ。 「場所変えようぜ、テツ。な?」 黒子の揺れる双眸が少し瞠られる。 青峰が黒子の腕を引いて、二人の足はもう動き始めていたが。青峰の手に捕られているその自分の腕に水色の視線をしばし向けて、黒子が小さく返した。 「……はい」 |
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