『俺はテツを全部知ってる、つってんだよ』 |
序章 君の知らない僕には (KUROKO) |
北風が黒子の首筋や髪をいたずらに撫でていく。 試合の熱気はその冷淡な冬の気流に奪われて、汗まみれの髪もユニフォームも、黒子の胸中で巡る過去と現在とともに切なく冷やされていく。 過ぎた時をどんなに惜しみ懐かしんでも、けして過去に戻ることはない。 一瞬、一瞬、を刻むこの現在もまた二度とやり直しが効くものではない。 ウィンターカップ初日、誠凛対桐皇の第2Q後インターバル――前半終了後のハーフタイム――である。チームメイト達から離れて独りふらりと会場を出た黒子は、ひと気のない表のテラスで真冬の冷たい外気にあたっていた。 「――……」 全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会・通称「ウィンターカップ」が開催されているこの総合体育館は、都内の室内競技場の中でも比較的大きな施設だ。 たかが高校生の大会とはいえ、スポンサー企業の商業的バックアップやTV中継も加わり、最近は伝統的な夏のインターハイよりもこの年末のウィンターカップのほうが華やかで盛り上がる大会と見なされている。 とりわけ特別枠が設けられた今年のウィンターカップは、帝光中出身の「キセキの世代」五人の各校全てが出場校となったことで注目の度合いが非常に高い。スポーツ雑誌などの各社マスコミ、大学バスケット関係者、全日本スポーツ連盟の者達などが、例年よりも多く会場に訪れているのは無論のこと、いつもなら会場まで足を運ばない地方の弱小校選手や全国のバスケットファン達が、今年のウィンターカップは見逃せないと、観戦のためにわざわざ上京してきているという。 大会初日の本日から、多くの人々が会場に詰め掛けていて、この表玄関口のテラスも午前中は雑然と賑わっていた。 だが、今、ここに人影はほとんどない。 本日の最注目カード、誠凛対桐皇の試合が行われている最中だ。やや長めのハーフタイム中とはいえ、観戦席を埋め尽くす多くの観客も、大会に参加している他校の選手達も、会場外に出て来るわけがない。誰もが皆、最注目カードの後半開始を待っている。 もっとも、そうして注目されているのは誠凛高校ではない。多くの観客の目当ては、夏のインターハイで準優勝した桐皇学園のほうであり、そして、もちろん、「キセキの世代」の元エース青峰大輝に違いなかった。 (……青峰君) 誰もいないテラスで柵に寄りかかり、黒子は会場の外周を眺める。 広い敷地内に植えられている背高い樹々は、六月の頃はそれは緑豊かだった。今はすっかり葉を落として、枯木のようになっている樹もある。 この総合体育館は、黒子にとって、それなりに馴染みのある会場だ。全国大会に行くことなんてあまりに当然だった帝光中の頃から度々訪れていたし、半年前の六月、東京地区のインターハイ予選決勝リーグもここで行われた。 その決勝リーグの数日前である。 『俺はテツを全部知ってる、つってんだよ』 黒子は青峰に閉館中の会場に連れ込まれて、そんなことを言われた。 その後、決勝リーグ戦で誠凛は桐皇にボロ負けし、「お前は最後の全中から何も変わってない。同じってことは、成長してねぇってことじゃねーか」とさらに青峰に言われた。そして、「お前のバスケじゃ、勝てねぇよ」と。 いかにもキツい響きだが、あれは青峰の黒子へのやさしさが滲んだ言葉でもある。 誠凛をザコだと嘲り、誠凛を手酷くボロ負けさせる敵の立場にいながら、青峰は黒子にやさしい。黒子にヒントやアドバイスをくれたのだから。 青峰の指摘の通りだと思った。 帝光中バスケ部の元シックスマンが、その帝光中バスケ部の元エースに敵うわけがないのは道理だ。 黒子のバスケスタイルの多くは、相手の視点を誘導したり、意表を突くパスをしたり、相手チームの意識・常識・条件反射等が及ばないところで動くことにある。「全部知ってる」と青峰に何もかも知られている黒子のままでは、青峰に対抗できないのは当然だった。 だから。 (僕は……) だから、黒子は、この半年間、青峰の知らない新しい技を身につけて、それを磨き、少しでも青峰の知らない黒子に――かつての帝光中バスケ部の黒子テツヤではなく、誠凛高バスケ部の新たな黒子テツヤに――必死になろうとしてきたのだけれども。 真冬の風がからかうように黒子の髪先を吹き流す。 (……僕は、君の知らない僕には、なれないのでしょうか) 青峰と戦うために身につけた消えるドライブ。しかし、青峰は目をつぶっていても黒子の位置や動きがすっかり把握できるらしい。そんな相手に消えるドライブなんて意味がない。お前を全部知ってる、わかってんだよ、と言われているみたいだった。改良したイグナイトパスも、効果があったのは青峰が普通のイグナイトだと油断していた一度だけ。二度目はもう駄目で、軽々とボールを捕られてしまった。 結局のところ、黒子がしているバスケは、青峰にパスをしていたあの頃が土台に在り、そこから大きく逸脱するような黒子テツヤには成り得ないのだろう。 ああ、そういえば、と黒子は小さく笑う。 帝光中時代にキセキ達五人しか受け取れなかった黒子のイグナイトパス。それを最初に捕ったのは、青峰だったのだ。 いや、「青峰が最初に捕った」と言うより、「青峰は最初から捕った」と表現すべきだろうか。黒子が練習でイグナイトパスを初めて撃って見せた相手は、当時一緒にいることが多かった青峰であり、そして、その初めてのときから青峰は黒子のイグナイトをちゃんと受け取ってくれた。もちろん青峰ならすぐに捕れるようになると思っていたが、まさかイグナイトの説明もろくにしてなかった初回からとは黒子も予想してなくて、少しばかり驚いた。 すると、青峰が言ったのだ。 『俺は、テツからのパスならどんなボールだろうと捕るぜ? そんで、絶対に点を取ってやるからよ』 だから俺にもっとパスを寄越せよ、テツ!と青峰は笑っていた。とても楽しそうに。 あの頃のような屈託のない笑顔を青峰から引き出すことは、自分にはもうできないのだろう。 それどころか。 「……っ」 テラスの柵をつかむ手を、黒子はぐっと握り締める。 それどころか――黒子の脳裡にこびり付いて離れないのは、あのインターハイ予選で桐皇にボロ負けした際にすれ違った青峰の顔だ。 相手チームを棒立ちにさせるほども圧勝した試合後に荒んだ顔をしている青峰を、黒子は帝光で何度も見てきたけれど。黒子が知るそのどんな試合よりも、あのインターハイ予選の青峰は酷い顔をしていたように見えた。おそらく、それは、誠凛に黒子がいたことが無関係ではない。 この試合はどうなるだろう。 またしても、自分は、青峰にあんな顔をさせるのか。 (――いや、まだ) 試合は前半が終わったところで、これから後半が始まる。 試合結果を予測して悲観的になるには早すぎる。 インターハイ予選で青峰が黒子にヒントをくれたように、黒子ができることで青峰に辛うじて効くかもしれないのは、青峰にとって全く未知なものだけだ。青峰に対して直接使ってなくても、一度でも青峰に見せてしまったものはもう効かない。それが効くと思っていた黒子の認識が甘すぎた。 黒子がすることなんて、青峰には何も通じないのかもしれないけれど。それでも、黒子にはまだ、誠凛というチームの一員としてやれることがある。青峰に見せていないものがある。桐皇と二度とまともに戦えないほど黒子をさらけ出す結果になるだろうが――かまわない。 過去はけして戻らず。 現在は二度とやり直せず。 そして、未来にチャンスがある保証はない。 だから、今が全てだ。 出し惜しみなんてしていられない。底をすり削って、もはや一滴も残らないほども自分を絞り尽くすしかない。今日、なんとしてでも青峰に勝つために。 ――そう覚悟を改めていたら、後ろからバフッと黒子に何かが覆い被さって来た。 「体冷えるぞ、バカヤロー」 振り向くと、黒子の今の相棒がいる。 「……火神君」 被せられたのは黒子のジャージの上着だった。火神がわざわざ持って来てくれたらしい。 「早く戻らねーと、後半始まっちまうぞ」 |
| § |
本日の最終試合にして最注目カードの大番狂わせの結果に、会場内はまだザワついていた。 誠凛101 ― 桐皇100 観戦席を埋め尽くしていた観客は少しずつ帰り始め、勝敗の行方を見守っていた強豪校の選手達も順次撤収していくが、白熱した試合の空気はいまだ会場全体を大きく取り巻いている。その興奮が最も冷めやらないのは、もちろん当事者である誠凛バスケ部だろう。 ようやくもぎ取った勝利の悦びと死力を尽くした心地よい疲労感に包まれて、誠凛用の控室へと続く廊下を皆でぞろぞろと連れ立って歩いていた。 先導するカントクのリコが振り返り、明るい声をあげる。 「みんなー、水分、たくさん採っといてね! 疲労をなるべく次に残さないように」 「おう!」 「うぃッす」 誠凛レギュラーに前後を挟まれて、黒子は火神に肩を担いでもらいながら床を踏む。 まだ足元が覚束ない。体力がないことは自覚している黒子だが、今日は本当に、まともに歩くことすらできないほども力を使い果たした。 (青峰君……) 過去の楽しさと切なさを想い巡らして、かつてのものを取り戻したいと願っても。そんなことを思うのは自分だけで、相手にとってはどうでもいい無用なことかもしれない。 バスケの神に誰よりも愛されているだろう青峰に対し、どんなふうにバスケをして欲しいだなんて他者が望むのは、身勝手でおこがましいに違いないだろう。黒子などにそんな資格がないのはわかっていた。まして、黒子は、青峰の相棒ではいられなくなって青峰から離れてしまった不甲斐ない身だ。 でも。 (君の楽しそうな姿を……また見れたから) 黒子が望んで、必死になって得られたものなんて、その儚い数分だけだ。 青峰から離れ、失ったものばかり多くて、取り返せたものはわずか。それでも後悔はしていない。今日、得られたその数分のほうが黒子には何よりも大事だから。 そして、黒子がそれを得られたのも―― 黒子は肩を担いでくれている火神を見あげる。 「火神君」 「あ?」 「……ありがとうございます」 「ああ、こんくらい、いーって。お前、マジ体力ねーし」 控室までもうちょいだからよ、と火神が笑って黒子の身を支え直す。黒子の「ありがとうございます」を、肩を担いでやっていることだと思ったのだろう。 「それもですけれど……」 「? なんだよ」 可能性がゼロではない限り、黒子はあきらめる気などなかった。けれども、その可能性は極めてゼロに近かったはずだ。そのわずかな可能性を徐々に広げて現実に繋げられたのは、火神のおかげである。もちろん、木吉や、日向や、他のレギュラー達、支えてくれたベンチの皆、カントクのリコも含めて、誠凛というチーム全員で桐皇からもぎ取った勝利だ。 でも、少なくとも青峰が見せたあの姿は、火神を相手にしていなければなかったはず。 黒子にあの貴重な数分をくれたのは――火神だ。 「……火神君、僕とバスケをしてくれて、ありがとうございます」 「ハ?」 火神が呆けた声をあげて歩を止めた。まじまじと黒子を見おろして、大きな口を喘ぐように歪める。 「黒子、お前……っ、何、もうこれで全部終わった、みてーなこと言い出してんだよ、バーカ!」 「……そんなつもりではなかったんですが」 「俺達ゃ、日本一(てっぺん)まで登るんだ、つってただろ? ようやく一回戦を勝ったとこだぜ」 「はい」 火神の言葉に笑って頷いたら。 「そうだぞ、このダァホ!」 後ろにいた日向に、黒子はぺしりと頭をはたかれた。 「まあ、桐皇にはインターハイ予選での大きな借りがあったからな。うちにとっちゃ、一番勝ちたかった相手だ。お前ら二人とも……今日はよくやってくれた」 お疲れサン、と付け加えて、日向は歩を止めている黒子と火神を追い越して先に歩いていく。 その日向の背中を眺めていると、さらに背後からぽんっと黒子は頭に手を乗せ置かれた。 「次も楽しんでこーぜ!」 木吉である。大きな手で黒子の頭をぽんぽんとさせてから、木吉も日向に続いて黒子達の先へと歩く。 これで全部終わっただなんて、黒子とて思っていない。 でも、帝光中バスケ部を辞めてからの黒子の一番の望みを叶えたばかりなのは確かだった。 ある意味、これまでの黒子は、無謀で身勝手な想いを引きずりながらバスケをしてきたようなものだ。その想いが全て解消したわけではないけれど。これから先は、黒子にそんな機会を与えてくれた火神や誠凛というチームのために、もっと純粋に勝利を目指してバスケを楽しんでいけるような気がする。 「あのよ、黒子」 「はい?」 前方で談笑し合って歩いていく日向と木吉の背中を眺めて、火神が言う。 「さっきの、お前とバスケをして、ってヤツな」 ――『僕とバスケをしてくれて、ありがとうございます』 「ああいうこっ恥ずかしいコトを真顔でほざくのは、せめて俺達の二年後にとっとけよ」 「二年後?」 今から丸二年後と言えば、火神や黒子が三年生の時のウィンターカップになる。 無論、その年も誠凛がウィンターカップに出場できていたら、という条件がつくだろうが、火神は当然出場しているつもりらしい。つまり、その二年後まで、火神は黒子の相棒として誠凛で一緒にバスケをしてくれるのだと、そういう意味になる。 「……火神君」 黒子の今の「光」はいつだってそうだ。 黒子が淵に沈みそうになると、そばでそれとなく引っ張りあげてくれる。ろくに力のない身でバスケをする黒子などをこうまでも信じてくれて、黒子の道を明るく照らしてくれる――希望の「光」。黒子がずっと夢見ていたあの数分も、火神が与えてくれたのだ。 目元と喉奥が熱くなりそうなのを堪えるように、黒子は唇を一度引き結び、それからいかにも素っ気なく返す。 「火神君こそ、こっ恥ずかしいです」 「はあ? ンでだよ」 「『俺達の二年後にとっとけ』って、そんなクサいセリフ、よく真顔で言えますね」 「……っ、テメ……っ、ぅるせーよ!」 火神と黒子はレギュラーで、特に火神はエース扱いもされているが、それでもまだ一年生だ。 誠凛というチームを引っ張っているのは、やはり二年生である。誠凛にバスケ部を創ったのは、日向や木吉やリコ達であり、今、火神や黒子が誠凛で思い切りバスケをやっていられるのも彼等二年生のおかげだと言ってもいい。 特に今回のウィンターカップは、故障を抱えている木吉にとって最初で最後になるかもしれない貴重な高校全国大会だろう。バスケ部を創設してくれた彼等二年生がそろって挑める最後の大会にもなる。 火神の「せめて俺達の二年後に」という言葉には、おそらくそういった意味も含まれている。 「今はとにかく、二年後なんかのことより、この大会のことだろ!」 「その通りですが、二年後とか言い出したのは火神君です」 「……っぐ……っ」 くっそ、と火神は割れた眉を寄せ、空いている手でガシガシと汗に濡れた頭髪を掻く。が、その手を握り込むと、黒子に「おらっ」と拳を差し向けてきた。 「まずはこの大会な!」 「はい」 こつりと拳を合わせてから、二人は誠凛用の控室への歩を再開する。廊下で立ち止まっていたせいで、控室に着いたのは二人が最後だった。 |
| § |
喉の渇きを感じて、黒子はふっと眼が覚めた。 (――……) 真上から降り注ぐ照明の光が眩しい。 白い天井と白い壁、そして、鼠色の金属ロッカーが黒子の視界に映る。背中に当たっている硬い感触は、床のようだ。ああ、ここは、ウィンターカップ会場の誠凛用控室だった、と思い起こす。 黒子の周囲では、幾つもの寝息がゆるやかに繰り返されている。見渡してみると、誠凛レギュラーの面々がこの狭い控室のあちこちで座り込んだり寝転んだりして、様々な格好で眠りこけていた。中でも、大口を開けて熟睡しているのは火神で、黒子はちょっと笑ってしまう。 皆、よほど疲れていた上に、ガチガチに張っていた緊張が一気にほぐれたせいだろう。着替えの最中から、一人、また一人と、うつら、うつら、し始める者が出てきて、やがて、この控室はいつの間にかレギュラー達の仮眠室と化してしまった。 黒子自身もまた、まともに歩けないほど体力を消耗していたし、周囲のそんな雰囲気につられることもあって、押し寄せる気怠い疲労を睡魔に委ねてしまった。 (喉、渇いた……ポカリ……) スポーツバッグを枕にして寝そべっていた黒子は、目についた青いドリンクボトルに手を伸ばしながら上体を起こす。ボトルをつかんで眼下に引き寄せたら、照明に反射するその硬質な青い色彩がやけに眼に沁みた。青地にポカリの白いロゴが入ったこのドリンクボトルは、水分補給用のポカリを入れるボトルとして黒子が日々使っている物だ。 このボトルと全く同じ形状の物を、一ヶ月程前、青峰から貰った。 温泉旅館で青峰と逢ったときのことである。 ボトルごとくれたのだとは黒子は思ってなくて、手ぶらで去った青峰を追ってボトルを返そうとしたら。 『ボトルごとやる、いらなきゃ捨てろ』 青峰にそう言われた。 使い捨てのペットボトルや缶ならば、それも納得するが。 このドリンクボトルは一種の水筒であり、繰り返し使う物だ。粉末状のスポーツドリンクを水に溶かして入れるためのアスリート用の水分補給用ボトルである。スポドリの粉末を大量に購入しているとたまに無料で付属してくる物でもあるから、青峰は気軽にそう言ったのだろうけれど。 (……君から貰った物を、僕がそんな簡単に捨てられるわけがないじゃないですか) たかがボトル一つのことだとは、黒子にはわり切れない。 しかし、「いらなきゃ、捨てろ」という青峰のその言葉は、実に青峰らしいとも思った。 いらないものは、切り捨てていく――青峰らしい。 温泉旅館で青峰から貰ったそのボトルのほうは、洗って黒子の家で保管している。ボトルごとやると青峰には言われたが、あのボトルを自分用にすることはさすがに憚(はばか)られるし、捨てるなんてもっとできない。だから、きっと、いつまでも黒子の家の棚にしまったままだろう。 黒子は、手元のボトルのキャップを外して、ボトルに口を付ける。仮眠する前にかなり飲んでしまっていたから、中身はあまり残ってなかった。一口、二口、を喉に流しただけですっかり飲み干してしまった。 飲み足りない心地に溜息を吐きながらキャップを閉め、ボトルを床に置く。 空いたその手をなんとなく眺めて、ぐっと拳に握り込んでみる。 (火神君とのバスケは、あと二年) 二年後のウィンターカップまで、火神は黒子と一緒にバスケをしてくれるらしい。 高校生活における部活動を思えば、それが最長のものに違いないだろう。それでも、あとたった二年しかないのだと、黒子は思ってしまう。 そして。 (青峰君とは……) ――『これっきりだ』 今日、試合終了後のコートで、黒子のわがままに応じて拳を合わせてくれた青峰が言った。 これっきりなのは、とうにわかっている。 青峰とのバスケは中三の全中で終わった。いや、実質的にはもっと前だっただろう。中二の途中からおかしくなって、中三になった頃には青峰はもうほとんど部活に出ていなかった。パスなんて無用だと言われて黒子は何もできず、コートを独りで走る青峰の背中をただ眺めているしかなかった。 思えば、青峰と「光」と「影」の相棒同士でいられた時間はとても少ない。せいぜい数ヶ月だ。 もしかして、すでにもう火神とよりも短いのでは…… 「……っ」 だけど、黒子は。 黒子がしているバスケは。 握り締めた片手の拳を抱え込んで、黒子は小さくうずくまる。 (僕は……一体、何なんでしょうか。君の知らない僕には、なれやしないのに……っ) 青峰と相棒同士でいられた時間がどんなに短くても、黒子がしているバスケはその当時が基盤になっている。今でも黒子は「光」と「影」のバスケに少なからずこだわっている。火神は黒子とするバスケを「そういうもの」だとして受け入れてくれているけれど。 今の黒子が火神としているバスケは、帝光中時代のものではない。誠凛で培った、新しい黒子テツヤのバスケのはずだと、そんな自負を持って今日の試合に臨んだ。結果、誠凛は桐皇に辛うじて勝てたが、黒子が青峰の知らない黒子テツヤになれていたのかというと、それはやはり違う。 そもそも「光」と「影」のバスケをなおも続けようとすること自体が、黒子が青峰との関係に囚われている証みたいなものじゃないか。 青峰とは――『これっきりだ』と、もうとっくに、ずいぶん前からわかりきっているのに。 (ポカリ……) 床上で照明を反射しているポカリの青いドリンクボトル。 そのボトルに黒子はもう一度手を伸ばし、軽く振ってみる。さっき飲み干したばかりだから、ボトルの中身はもちろんすっかりカラだ。そんなことよくわかっているくせに、中身を期待して、また振ってみたくなる。おかしなものだ。 小さく自嘲して、黒子はカラのボトルを置き戻した。 枕にしていたスポーツバッグの中を少し探って小銭を出し、床から腰をあげる。いまだ寝息を立てているレギュラー達の様子を見回して、音を立てないように控室の出入口に寄る。磨りガラスの小窓が付いたドアを開けた。 「あ、黒子君」 控室の外にはリコがいた。帰り支度の荷物とともに廊下の壁に寄りかかって佇んでいる。レギュラー以外の部員達も、荷物を持って周辺で雑談していた。どうやら、控室で仮眠中のレギュラー達をそうして待っていたようだ。 「他の連中、もう起きてるかな?」 「すみません……みんな、まだ寝ていて……」 「そっか」 「あの、起こしましょうか?」 リコは笑って手を振った。 「んーん! いーの、いーの。閉館までまだ二時間くらいはあるし、寝かせておいてあげて。黒子君も疲れてるんだから、気にせず休んでていいのよ」 「……ありがとうございます」 リコに軽く会釈をして黒子は廊下を踏み出す。と、すぐにリコの声がまた掛かった。 「黒子君? トイレなら、あっちの逆方向に――」 リコの勘違いに、黒子は笑って首を振る。 「あ、いえ、違います。ポカリがなくなったので、買いに行こうかと」 「自販機は……ちょっと距離があったような気がするんだけど、一人で歩けそう? 私が代わりに買いに行こうか?」 試合直後の黒子は肩を担いでもらわないと立ってもいられない状態だったから、リコがそういう気遣いをするのも無理もない。しかし、先輩でありカントクでもあるリコに、そこまでしてもらうわけにはいかない。 「いえ、大丈夫です。だいぶ休みましたから、もう普通に歩けます」 筋肉や節々に重たい疲労感は依然あるけれど、歩くくらいは問題ない。 黒子は誠凛用控室を離れて館内の自動販売機を探す。と言っても、帝光の頃から何度か訪れている会場だ。だいたいの構造はわかっている。角を二つ曲がり、長い廊下を進んで、たぶんこの辺りにあるのでは、と予想した所に自販機コーナーを見つけた。 (ポカリ) ここは室内スポーツのための総合体育館だ。スポーツドリンク銘柄としてメジャーなポカリが、館内の自販機に置いてないわけがない。当然のように販売されていて、しかも、ペットボトルと缶の両タイプが自販機二台の見本欄に並んでいた。 だが、自販機に近寄った黒子は落胆する。 (……売り切れ……てる、全部) ペットボトルも、缶も、ポカリには赤い売り切れランプが点いていた。自販機二台ともにである。 桐皇との試合は今日の最終試合だった。暮れるのが早い冬場とはいえ、外界はすっかり暗くなっている。総合体育館というこの特殊な場所柄、おそらく一番人気だろうポカリが売り切れになっていても仕方がない時間帯とも言える。 他の自販機を探そうか。ここの自販機が二台とも売り切れているとなると、館内の自販機はどこも似たような状況の可能性が高そうだ。それでもポカリを探して他の自販機を巡ってみるべきか。あるいはミネラルウォーターあたりで妥協しておくべきか。でも、正直、ポカリ以外の飲料はさして欲しくないのだ。 自販機の前で黒子が逡巡していたら。 「ホラ、これやるよ」 「っ?」 横から青いポカリの缶を差し出された。 口の開いたそのアルミ缶を持っているのは、浅黒い大きな手である。黒子がよく見知っている手。どんなに無造作にボールを放ろうとも、ほぼ百%の確率でシュートが入るだろう手だ。その手は桐皇の黒いジャージの袖に続いていて、黒子は隣を見上げて眼を見開く。 「……あ、お……峰くん」 黒子よりバスケットボール一個分ほど背高い姿が、黒子の横に立っていた。 「中身、半分も残ってねぇけどな。全部やる」 そう言って、青峰がポカリの缶を黒子に向けてくる。 「でも、君が飲んでいるものなのに……」 「俺はもういい。つーか、俺、この缶で三本目だから、気にすんな」 「三本目」 「ペットボトルのほうは売り切れててよ。缶二本飲み干して、この三本目を買ったら、売り切れになっちまった。なんか、俺が買い占めたみてーでよ……わりぃ」 だから、ホラ、やる、と差し向けてくる青峰の手から、黒子はポカリの缶を受け取る。 帝光中の頃とはもう違うのに。青峰からポカリを貰うことの、この違和感のなさは何だろうか。 青峰の言う通り、半分も中身が残ってなさそうな缶の重さだった。でも、黒子には十分ありがたい。 一口、喉に流すと、それだけで黒子の気分が少し落ち着く。ほのかな甘みとともにポカリの成分が体中に浸透していくような心地がする。いつも一口だけでは済ませられなくて、次の一口、また次の一口へと、つい続けてしまう。 しかも、とてもまいったことに、青峰から貰ったポカリはなぜか他のポカリよりも美味しく感じられてしまう己を、黒子は自覚している。黒子がポカリを欲しているタイミングで、こうして差し向けてくれていたのが青峰だったからかもしれない。 「もう一人で歩けるみたいだな。お前、さっきまでどっかで寝てただろ」 「……? はい、控室で少し仮眠してました」 なんでわかったのだろうか、とポカリを飲みながら、黒子は問うように青峰を見あげる。 「そりゃ、そんなアタマしてりゃな」 ああ、寝癖がついてるのか、と黒子は自分の髪に手をやってみる。 確かに、ちょっと跳ねているようだ。仮眠していたのは、三、四十分程度だったと思うが、汗で髪が濡れていたから癖が付きやすかったのかもしれない。 「練習でヘバって、ぶっ倒れた後のお前のアタマが、いっつもそんな感じでよ」 帝光中時代の話だ。 黒子は誠凛の練習でもヘバることはあるが、帝光中の頃は今よりもっと体力がなかったから、一軍のキツい練習に倒れる回数も多かった気がする。 「お前、体力ねーけど、立てねぇほどになるのは……帝光の試合では一度もなかったな。練習じゃ珍しくもねぇのに」 「……そう……でしたね」 それは、帝光では勝つことがあまりに当然だったからだ。 大差で圧勝する試合ばかりで、選手が限界まで体力を使う必要もなかった。 まして、黒子はフルタイム出ることのないシックスマンだったから尚更である。 帝光でも僅差で競り合う試合が全くなかったわけでもないが、それはせいぜい二年生の前半までで、青峰が覚醒し始める前まで遡らないといけない。そういう試合でも、シックスマンの黒子が体力の限界までも動き回らねばならないようなことはやはりなかった。 「まー、今日の、あんな戦い方してたらよ……お前が立てなくなるのも無理ねぇわ」 「――」 ポカリの缶の中身が残り少なくなって、黒子は缶を傾けて最後まで飲みきる。おかげで喉も体も潤ったが、なくなってしまうと少しだけ物淋しくなる。口内に滲んだポカリの味を惜しみながら、黒子は自販機の脇の缶用ゴミ箱へと空き缶を入れた。 と。 「テツ」 黒子の手が空くのを待っていたかのように、隣に立つ青峰が黒子に片手の拳を寄越してきた。 「……っ……?」 『これっきりだ』と。 こんなことをしてやるのはこれで最後だと、試合終了後のコート上で青峰ははっきりと言っていたはずだ。なのに、どうして、と黒子には青峰の意図がわからず。 「青峰君……?」 戸惑う。 けれど、向けられたその浅黒い拳の誘いに、黒子はとても抗えない。黒子に抗えるわけがなかった。 惑いながらも促されて、自分の拳をゆっくりともたげる。 そうして、黒子が青峰に拳に合せようとしたら。 「ッッ?」 青峰のその手がいきなり開き、黒子は青峰に拳をつかみ取られた。 「テツ、俺は――」 |
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