都内とはいえ雑多な密集地から外れた山添いののどかな町である。 電車を下車し、桐皇学園バスケ部の黒いジャージ姿の者達がぞろぞろと連れ立って歩いていく。のんびりと道を行き交う地元の人々が、時折、珍しげに視線を向けてくる。青峰も含め、上背190センチを超えるような部員が何人もいるから、かなり目立つ集団かもしれない。目的地はこの町にある丞成高校だった。本日は、その丞成高バスケ部と練習試合をする予定になっている。諸事情で原澤監督の付き添いはなく、主将の今吉が部員達を先導している。 「……今吉サン」 「なんや?」 電車から下車した後、今吉から渡された書店ロゴ付きのビニール袋の中身を確かめて、青峰はひくりとこめかみを引き攣らせた。袋の中身は、某グラビアアイドルの写真集なのだが。 「なんでまたマイちゃんじゃねーんだよっ! 堀北マイちゃんの写真集、つったろっ?」 「ええやんか。そのコもけっこう巨乳やで」 「マイちゃんはもっと巨乳なんだよ!」 えー、そんなん違いわからへんわ、と今吉が肩を竦めてどうでもよさそうにうそぶく。 晴れた空は高く澄み渡っている。しかし、その碧い色素はやや薄めかもしれない。のどかなこの町を覆うように広がるのは細かな鰯雲だ。冷んやりとした風が街路樹の淋しげな梢を揺らし、足元の落ち葉を吹き散らす。暦は十一月、季節はもう晩秋である。 「だいたいよ、同じ手で騙すなんざ、芸がねーだろ……っ」 堀北マイではない別のグラビアアイドルの写真集をビニール袋の中にしまって、青峰がまだぶつぶつと文句を吐いていると。前を歩く今吉が秋の空を仰ぎながら言った。 「そやかてなァ。……自分、その同じ手にわざと騙されて来たんやろ? 先回も、今回も」 「――」 先回とは、先日のウィンターカップ予選決勝リーグの観戦であり。 今回とは、本日の丞成高との練習試合だ。練習試合後、この近くの温泉に立ち寄ることになっている。 人気グラビアアイドル堀北マイの写真集は何冊か発行されているが、青峰が持っていない初期のものは現在プレミアムが付いている。たまにネットオークションなどで出品されているようだが、毎回ン万もの高値がつく上に、競争相手も当然多い。競りがヒートすれば十数万にもなりうるシロモノだ。気軽に落札できないのが現状である。つまり、青峰が欲しい堀北マイの初期写真集を餌にされたって、その餌がそう簡単に入手できるものではないことくらい、最初からわかりきっている。 「元チームメイトなんやろ。お互い都内におるくせに、なんや、自分に理由を作らな逢えへんとか、難儀やな。素直じゃない、ちゅうか」 「――……。それは、アンタには関係ねぇ」 「まぁ、今回も騙されたことにして、大人しぅ付いてき。そしたら、誠凛と『バッタリ』や。『偶然』の『たまたま』やで?」 桐皇バスケ部としてはあくまで丞成高との練習試合のついでという形だが、練習試合後、この町にある温泉旅館にわざわざ立ち寄る予定である。「ちょうど同じ日にな、誠凛も保養に来るらしいで。おもろいやろ?」と、数日前、今吉が人の悪い笑みを浮かべていた。だから、今吉の言う『偶然』やら『たまたま』やらは半々だろう。丞成との練習試合日と誠凛がこの町の温泉旅館に来る日が重なったのは、確かに偶然である。しかし、誠凛が同日に近くの温泉旅館に来ると知って、あえてその旅館に立ち寄ることにしたのは、もちろん今吉の故意だ。 ウィンターカップの組み合わせ情報が桐皇には少し早めに入っており、初戦で誠凛と当たることが既に判明している。誠凛とはインターハイ予選で戦った経緯もあるから、今吉はわざと鉢合わせを演出して誠凛の連中を煽り、プレッシャーをかけるつもりなのだろう。今吉がそういう真似をするのは、今の誠凛を少なからず警戒しているからだ。歯牙にもかけないような相手ならば、そんな必要もない。 「……俺は、今日の練習試合には出ねぇからな。ザコ相手につまんねぇバスケはしねぇ」 だいたい、これ、マイちゃんじゃねーし!と青峰は渡された写真集の袋をかざして力強く付け加える。 興味もない練習試合にわざわざ付いて来た理由はせめてソレにしておかないと、青峰としてはいけない気がするのだ。 「出ないって、そりゃアカンで」 今吉があからさまに眉を下げて青峰を振り返った。 「今日はトリプルスコア以上の大差つけて勝ちたいんやから」 練習試合相手の丞成は、ウィンターカップ予選で誠凛と対戦し、誠凛108−丞成61で敗退している。ダブルスコアとまではいかないが、それにかなり近い点差だった。 青峰から見たらまったくのザコであり、青峰がわざわざ出る意味もなく、出たところでつまらないバスケに成り果てることはわかりきっている。だが、今吉としては、誠凛が怯むほどの圧倒的な点差をつけて、誠凛へのプレッシャーのネタにしたいのだろう。誠凛に対しても、丞成に対しても、えげつねーよな、と青峰は思うが、今吉の思惑など青峰はどうでもいい。それに加担する気もなければ邪魔する気もまたない。ただ、つまらないバスケはなるべくしたくないだけだ。 「俺抜きでも、トリプル差くらい軽く出来んだろ」 今吉が肩を落として溜息を吐く。が、眼鏡の奥の細い眼は嗤っていた。 「まぁ……しゃーないなァ」 |
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トリプルスコア以上の大差をつけて、などと今吉は言っていたが。 丞成はウィンターカップ予選で誠凛に敗退したばかりで、明らかに士気が下がっている。加えて、その予選敗退によって、それまで主力だった三年生の大半が引退しているのだ。トリプルスコアなどと控え目なことを言っていた今吉だが、青峰を投入して、本当はその倍くらいの点差を狙っていたかもしれない。 丞成との練習試合は、眺めているのもバカバカしいほどの一方的な桐皇ワンサイドゲームで進み、桐皇の得点が100を超えた辺りで青峰は観戦をやめた。 青峰が試合に加わっていない分だけもったほうではあるが、丞成側の「勝つ」意志は早々に見られなくなった。「こんなの勝てるわけがない」「こんな試合、早く終われ」という心理が透ける。一人で奮闘していた鳴海という大柄の一年がいるのだが、そいつの意志も切れていくのがわかる。 青峰にとっては、あまりにも見慣れ過ぎたコート上の風景だった。 その場にいるのもかったるくなり、青峰はあくびをしながら丞成の体育館を出た。 体育館の軒下の陽当たりのいい所を適当に探し、そのコンクリートにごろりと寝転んだ。陽はそれなりに当たるが、晩秋の風は冷めたい。外で昼寝をするのもそろそろ限界の季節だろう。 (……バスケに一発逆転はねぇからな) バスケは、単純に言えば、1〜3点のシュート得点を地道に積み重ねていくゲームである。一定時間内に得られる点数はどうしても限られてしまうから、あまりにも点差が開きすぎると、後からどんなに有効な手を尽くしても逆転することは不可能になる。 にもかかわらず、バスケには野球のようなコールド制度はない。「これほども点差が開いたらもう逆転は無理だから、勝敗をここで決して、ゲームを途中で終了しましょうね」――というようなことがないのだ。強いチームは、100点、200点、と絶えず得点を重ねていく。それに抗えない弱いチームは、どうあっても勝てないとわかっていながら、ひたすら相手チームの得点に付き合わねばならない。試合終了の時間が来るまでずっとだ。それは、ある意味、とても残酷で惨めな時間だろう。 バスケはただでさえ走ってばかりの運動量の激しいスポーツである。圧倒的な大差を付けられた状態で、なおもモチベーションを保ち続けるのは、人間の心理として難しい。 だから、青峰の前で勝負をあきらめて棒立ちになるザコな連中も、当然と言えばそうなのだ。 でも。 『まだ、終わってません』 (テツ……) 黒子は違った。 『あきらめるのだけは、絶対、嫌だ……っ!』 インターハイ予選決勝リーグ。 誠凛にあれだけの大差をつけて、黒子の力を何もかも剥ぎ取ってやったというのに――黒子が選んだ「新しい光」の火神はベンチに下がり、黒子のミスディレクションの効果も切れ、青峰には何も通じないのだと、お前のやっていることは無意味でしかないのだと、現実をあんなにも思い知らせてやったのに――黒子の戦う意志も、青峰を見るその眼も、最後まで変わらなかった。 勝てないバスケに意味はない。 もういいだろ、お前、なんで、あきらめねーんだよ、と青峰のほうこそが何度も口に出かかった。 「……ははっ、やっぱ、テツは……おかしいわ。フツウじゃねーよな」 寝転がりながら可笑しくなって小さく噴き出したら、頬がずきりと痛んだ。今朝、落下してきた雑誌があたった所、三ヶ月前に黒子に殴られた所だ。 (くっそ……痛ぇ) 黒子は拗ねたりヘソを曲げたりすると頑固だし、見かけに寄らず負けん気が強くて、物言いもキッパリと憚(はばか)らないところがある。だが、基本的に、自分自身のためにはそう本気で怒る奴ではないと、青峰は知っている。黒子が己の烈しい感情を剥き出しにするときは、大概、誰かのためだ。自分の周囲の誰かのため。特に、それにバスケが絡むと拍車がかかる傾向がある。 先日のウィンターカップ予選決勝リーグ、誠凛対霧崎第一の試合がまさにその例だった。花宮を中心とする霧崎第一の執拗なラフプレーに誠凛の選手が何度も被害に遭っていて、あーあ、テツの奴、ずいぶん怒ってやがんな、と青峰は観客席から眺めていたのだが―― 黒子の新しいドライブを見て愉しくなる反面、誠凛というチームに在る黒子の影としての姿に、青峰は何か言い知れない心地がした。 パサーに偏った黒子のプレーは、常にチーム内の誰かのためのもの、誰かに繋ぐものである。それは火神だったり、他の者だったりするが、インターハイ予選のときはまだぎこちなく見えた黒子と誠凛メンバーとの連携が、霧崎第一戦ではピタリと嵌っていた。「信頼」なんて言葉を青峰が桐皇の連中への解説に使ってしまうほどに。 ――そういう黒子を観客席で眺めていたあのときも、なぜか頬がずきりと痛みだして、青峰は台風の晩のことを思い出していた。青峰をいきなり殴り付けた後、ベッドに身を投げ出して涙まみれになっていた黒子のことを。 黒子は自分のためにはあんな感情的にはならない奴なのに。 『俺の場合は、怪我の一つ二つあったほうが、実はいいかもしれねーぜ? そのほうが俺のハンデになって、バスケがもう多少は面白くなるかも』 つい口からすべった言葉だ。本気で言うわけねぇだろ、あんなの冗談だってすぐわかんだろーが、真に受けんなよ、と身勝手な弁解めいたものが何度もぐるぐると青峰の中で巡る。 けれど、「本気」か「冗談」かではなく、青峰の「本音」はどうだったのかと自問すると。 (……っ……) どうにも苦いものがあるのを、青峰は否定できない。 バスケが詰まらなくて、独りで走るしかない青峰の世界はただでさえ腐っている。 肘を痛めてスタメンから外され、せっかくの赤司との対戦が流れ、その上、あのときはバスケそのものをするなと禁じられていた。肘を治せば済むことだと理性ではわかっていても、腐った世界がいっそう爛れてヘドロになりそうで、どうにでもなれよ、という自棄の意識が小さくチラついていた。 そんな病院帰りに、雨でずぶ濡れになって駅に辿り着いたら……黒子がいたのだ。 あれこそまさしくバッタリの偶然だった。 何もかも――バスケすらも――失くしている最中だったから、目の前にいる黒子に向けて、青峰の腕が伸びないはずがなかった。あの小さな躰を青峰の腕で囲うと、ささくれていた心地がやけに落ち着いた。もういなくなってしまったはずのその影を、また己の腕で抱き締めている感触は堪らなかった。台風の影響でJRが全線止まっているという状況も青峰の味方をしたが、あのときはどうしても黒子を逃がしたくなかった。 インターハイ予選でズタボロに負かして、お前のバスケじゃ勝てねぇよ、と黒子を手酷く傷付けたくせに。自分が傷付けたはずのその黒子に、あのときの青峰は甘えたのだ。あまつさえ、青峰の肘を心配する黒子の前で、内心でチラついていた小さな自棄の「本音」をタチの悪い冗談の形で口からすべらした。 『俺の場合は、怪我の一つ二つあったほうが――』 殴られたのも当然だ。 泣かれるとはさすがに思わなかったが。 けれど、青峰にしがみ付いて青峰のために泣いている黒子を抱いていたら、ああ、やっぱりこいつは俺のモンじゃねーか、と湧き上がる最低の愉悦に抗えなかった。 (……。頬が、痛ってぇわ……) 見上げる鰯雲がほんのりと色付き始めている。風もいっそう冷えてきて、もう夕方の気配だ。晩秋は陽が傾くのも早い。 昼寝するつもりで抜け出てきたのに、全然寝てねーな、と目を閉じたら。 「てめぇ……っ、この、青峰ぇッ!」 がなり立てるような怒声が降ってきた。 あ?と瞼を上げると、青筋いっぱいの顔で青峰を見おろす若松がいる。 どうやら練習試合が終わって丞成から引き上げるところらしい、他の桐皇メンバー達も着替えを終えてぞろぞろとやって来る。青峰自身は着替える必要もなくずっとジャージ姿のままだ。 「姿がねぇと思ったら、勝手にこんなとこでサボってやがってッ!」 クソうるせー、と青峰は緩慢に上体を起し、小指で耳をほじくる。 「俺は試合には出ねー、つってたし。どこにいようとどーでもいいだろ」 「てめぇはなぁ! 団体行動ってモンを……っ」 こめかみの筋をますますビキビキさせて、なおも大声で青峰に突っかかろうとする若松の肩を、今吉がポンと軽く叩く。 「まぁ、そんくらいにしときや。余所の学校で騒ぎ起こすんは、あんまようない」 今吉にそう窘められてしまって、若松がぎりりと押し黙る。 「全員そろったことやし、引き上げるで。次は温泉や」 結局、ちっとも寝てねーなぁ、と青峰が腰を上げると、桜井がおそるおそる寄って来て、青峰のスポーツバッグを差し向ける。 「青峰サン、スミマセン……! これ、青峰サンの荷物です」 ああ、と返しただけで礼も言わず、だりぃな、と青峰はそのスポーツバッグを受け取る。 バッグの中身は試合用の着替えや水分補給用のドリンク等だ。万が一、今吉から渡される写真集が本当に堀北マイのものだったら、一応、約束通り練習試合に出るつもりで準備だけはして来たのだが。やはり無用な荷物だったようである。 桐皇170−丞成39 それが、青峰抜きの、この日のスコアだった。 |
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