この疑似的に作った『偶然』で、今日、俺と逢ったら、こいつはどんな顔をするのだろうかと、青峰は事前に少し考えていた。 無論、嬉しそうな顔をしてくれるなんてことは思っていない。高校になってから、いや、中三辺りからだろうか。青峰のそばで黒子が嬉しそうだったり楽しそうだったりすることは、もうずっと無いような気がする。だから、今日もそうだ。驚きで凝固した顔に次第に戸惑いの色を混ぜていく黒子を眺めて、青峰は苦笑を寄せた。 誠凛の連中といるときのこいつは、けっこう楽しそうなのによ、なんてチラと思う。 「青峰君、どうして、ここに……」 「近くで練習試合があってよ。俺は出てねーけどな」 缶の蓋をカシュッと開け、一口、二口、と青峰は飲料を喉に流す。 しかし、その間、青峰が長椅子の上に置いたポカリのボトルはそのままだ。黒子は手に取ろうとしない。 「ソレ、冷えてねーけど、飲めよ。欲しかったんだろ、ポカリ」 「……。でも、火神君が……」 黒子が青峰から目を逸らすように床板へと視線を落とす。 「火神君が、今、買いに行ってくれてるんです。だから……すみません」 火神が黒子のためにポカリを買いに行っているところだから、青峰からの物は飲めない、ということらしい。また、カガミ、カガミ、かよ、と青峰の喉奥が小さな苛立ちにチリつく。だが、それも仕方ねーか、と冷たい飲料を流してその喉を紛らわした。今の黒子は誠凛というチームに属しているのだ。黒子のそばにいて黒子の相棒をしているのは青峰ではなく、火神なのだから。 「いいから、飲んどけ。表の自販機もポカリは売り切れだ」 「っ?」 「この近所の自販機でも、ポカリだけあちこち売り切れてるみたいだからよ。火神は、たぶん、手ぶらで戻って来るぜ。遠くまで買いに行きゃ、別だがな」 そこまで青峰に説明されても、なお黒子は逡巡していたようだが。 「お前、スポドリ系はポカリじゃねぇと合わねーんだろ? ソレ、飲んどけって」 「……」 ようやく黒子の手が青峰のボトルへと伸びた。キャップを外して、黒子がボトルに口を付ける。それをじっと眺めながら、青峰も手元の缶飲料を飲む。黒子の白い喉がコクリと一度蠢いて、それからコクコクと嚥下を続けてしまうのを見詰め、ホラ、やっぱ、欲しかったんじゃねーか、と青峰は目を眇めた。 やがて、黒子がボトルから口を離し、は……と癒されたような淡い息を吐く。相応の水分やミネラル等を補給したからだろう、顔色や呼吸が少しずつ平常に落ち着いていくようである。 だから最初から素直に飲んどきゃいいのによ、と青峰は思うけれど。 その青峰自身もまた、そう簡単に素直になるわけにはいかない歪みと逡巡がある。 『難儀やな。素直じゃない、ちゅうか』 もしも、青峰が素直になどなったら。 そうしたら。 「――」 今、青峰の眼の前に黒子がいる。一歩、踏み出せば、すぐにも手が届く距離だ。その微妙な距離の先で、黒子が長椅子に座り、どこか所在なさそうに床を眺めている。 (……テツ) 冷えた缶飲料を、また一口、二口、飲んで、青峰は己の中で燻っているその誘いを打ち消した。 「試合、見たぜ」 黒子が、ハッと顔を上げた。 「あれが、さつきの言ってた新技か」 青峰に向けられた黒子の視線に強い意志が灯る。 「はい、青峰君達と戦うための……」 明らかに変わった黒子のその顔付き、その挑戦的な気色に、青峰は笑った。 ――今日、青峰と逢ったら、こいつはどんな顔をするのだろうかと思っていたが。 ついさっきまで、青峰の前で困ったように俯いていたくせに。バスケのことになると、途端にこれか。青峰は自分がバスケ馬鹿だという自覚くらいあるが、こいつだって、相当なものだと思う。なんせ、「顔でバスケするわけじゃないから、顔は殴っていい」といきなり殴ってくるくらいだ。こんな小さな身体で、自分では点も取れない身のくせに、負けん気が強すぎるだろう。お前がやっていることは無駄で無意味だと、あれほども酷く負かして現実を教えてやっても、こいつはまだあきらめようとしない。とてもマトモな神経ではないし、フツウの精神でもない。 マトモでフツウの人間とは、今日の丞成みたいな連中のことだ。 (けど……妙に愉しくなるじゃねーかよ) 新しく身につけたあの消えるドライブは、青峰と戦うためのものらしい。つまり、青峰のためのものだ。そして、こいつは青峰に勝つつもりでいる。 こいつが何をしようと、誠凛がどうあろうと、青峰に勝つなんて不可能なのに。 「悪いが、そりゃムリだ」 可笑しくて、やけに愉しくて、そして、ほんの少し虚しい。 いっそ素直になって、もう何もかもを青峰の思い通りにしてやろうかと巡らしては消すけれど。 何度も、何度も、青峰はソレを巡らし、欲に誘われては……打ち消すけれど。 「ウィンターカップで勝つのは――」 「――俺達だ!」 「ッ」 不意に現れた火神に勝手に肩を組まれ、せっかくの黒子との場に介入されて、ンだよ、このヤロウはッ、と不快に顔を歪めながら、青峰は火神のその腕を振り払った。 |
| § |
火神は表の自販機だけではなく他も回ってきたようだが、やはりポカリは買えなかったらしい。 (また、妙なタイミングで出て来やがって) 黒子や火神と離れ、青峰は桐皇の畳部屋へと続く廊下を一人ぶらりと歩く。ジャージのポケットに何気なく突っ込んでいる手を、時折、無意識に握り込む。 しばらくしたら火神が戻ってくるだろうことは無論わかっていた。 わかってはいたが、目の前にいる黒子しか視界に入らず、しかも黒子とのやり取りがついつい愉しくなってしまっていて、火神が近付く気配に気付けなかった。まったく、どうして、あのヤロウは、ああもタイミング悪く現れて青峰と黒子の間に割り込むのか。インターハイ予選の試合後だって、火神が変なときに現れたから――。 (……いや、) むしろ、どちらもタイミングが良かったと言うべきかもしれない。 インターハイ予選の決勝リーグ戦後のアレは、黒子のためにこそ火神は青峰と逢わせないようにしたのだろう。今回の場合は、黒子のためにポカリを探し回って戻ってみれば、なぜかそこに青峰がいて、黒子が青峰に変に絡まれているようにでも火神には見えたのかもしれない。勝手に肩を組んだのを、「前のお返しだ」などと火神は言っていたが、きっとそれだけではない。青峰に腕を振り払われた後、火神は青峰と黒子の間に自分の立ち位置を陣取り、それとなく黒子を自分の後ろへやって青峰から遠ざけていた。 火神は大雑把そうに見えるが、微妙に勘の鋭いところもある奴だ。 火神が青峰と黒子の間柄をどう捉えているのか、青峰は知らない。火神のあれが意識しての行動か無意識なのかも、知りはしない。だが、一度ならず二度までも絶妙なタイミングで現れて、あの行動だ。あれは、自分のテリトリーに属する者を庇護しようとする雄の本能とでも言うべきか。火神なりに鼻や勘を効かせて、相棒の黒子を庇ったり守ったりしているのだろう。 (まー、その勘は……大きく外れちゃいねーわな) 火神にとって青峰は自分達の敵である。しかも、最もリベンジしたい相手のはず。 そして、何より、青峰は黒子を―― (俺はテツを、) 苦い心地がじわりと喉奥から込み上がってくる。その体内の濁った空気を入れ替えるかのように、青峰は、ハ、と息を吐き出す。 と、思いがけず呼ばれた。 「……峰君!」 「っ」 「青峰君、待ってください」 その声に振り向けば、小走りで青峰を追ってくる黒子がいた。 (テツ?) 何かと思ったら。 青峰の元までやってきた黒子は、青いボトルを青峰に差し向ける。 「あの、これ……ポカリのボトル。ありがとうございました」 ああ、なんだ、ボトルのことかよ、と青峰は苦い心地のまま口端を歪める。 青峰はボトルごと黒子にやるつもりで置いてきたのだが。黒子は青峰がボトルを忘れたとでも思ったのか、わざわざ返しに追って来たらしい。 「ソレ、全部やる、つったろ。ボトルごとやる」 「え? でも、そういうわけには……」 「中身、まだ残ってんだろ? 自販機のポカリは売り切れてんだから、お前が好きに飲んどけ。ボトルのスペアくらい、うちに転がってるからよ」 水分補給用に使っているこの類のドリンクボトルは一種の水筒として普通に市販もされているが、粉末状のスポーツドリンクを頻繁に購入していると、たまにオマケで付いてくることもある。おかげで青峰の家には同じボトルが、二、三個あるし、おそらく黒子の家にも何個かあるに違いない。 「ま、いらなきゃ、捨てろ」 「……っ!」 たかがボトルのことだ。 だが、黒子は水色の瞳を揺らしてわずかに目線を伏せ、ほんの小さく唇を噛み締めたようだった。 そのとても些細な黒子の沈んだ表情が、やけに青峰の意識を惹いた。 (テツ……っ) 別に黒子が悪いわけではない、しかし、青峰の癇に障る。 誠凛の連中とは楽しそうなのに、俺の前だと、お前、なんでそんな顔するんだよ、と妙にイラ立ってくる。そのくせ、こいつは、今、青峰の目の前にいるのだ。湯上りの姿で、たった一人で青峰の前に出て来た。青峰の喉奥で灼けるように燻っていたものが次々にはじけて、タガが外れそうになる。 「テツ、そんなことより、お前」 ただでさえ低い青峰の声音が、もうさらに低く下がっていたかもしれない。 「お前……一人で、俺の前に出て来んじゃねーよ」 「?」 「さっき、せっかく火神が横やり入れただろ? なのに、一人でのこのこ俺の前に来やがって」 「青……峰、くん……?」 顔を上げた黒子が、疑問と不審の色を滲ませる。 オイオイ、ここまで言ってやってもマジでわからねぇのか、と青峰はせせら嗤った。 シーズンオフで客の少ない温泉旅館。この廊下の人影は他に皆無である。そして、桐皇の連中も、誠凛の連中も、一緒に仲良く温泉中という状況だ。その上、先刻は火神が場に戻って来ることが前提にあったが、今度は違う。黒子が勝手に青峰を追って来たのなら、火神がここに現れる可能性は極めて低い。 「台風の日に逢ったときは、お前、俺をずいぶん警戒してたよなァ。今日はいいのかよ?」 「……ッ!」 それで、やっとわかったらしい。 青峰の不穏な気配に小さく息を呑み、一瞬、黒子が仰け反るように後ずさりしかけた。 が、ボトルを持つ黒子のその片腕を、青峰がすぐに捕える。抗おうとする黒子の力など青峰にとってはあまりにもささやかなものでしかない。その細い腕を強引に寄せると向きを変えさせ、黒子の背を廊下の横壁にドンッと勢いよく押し付けた。 「ッッ、あ……ッお、峰、く……ッ!」 青峰に腕を掴み上げられて握力が続かなかったようだ、黒子の手からボトルが滑り、床に落ちて鈍い音をたてた。それを、あっ!と目で追おうとした黒子の顔を顎から掴み上げて、青峰のほうへと向けさせる。大きく見開いた黒子の眼が間近で青峰を見上げ、色素の薄い眉が顰められる。先刻、青峰のボトルに口を付けていたその唇が、青峰の真下でふるりと震えて呻いた。 「っ、青峰くん……ッ」 こうなると、黒子は青峰から逃げるどころか抗うことすらできない。 そんな黒子を見おろして、青峰は冷淡な心地で目を細めた。 あーあ、あっけねぇよな、と思う。 青峰がその気になれば、こいつを捕まえることなんてこんなにも容易いのに。 『難儀やな。素直じゃない、ちゅうか』 (……っ) いっそ、本当に素直になって。 素直になって。 ああ、もう、素直に、眼下にあるこの小さな唇にかぶり付いて、むちゃくちゃに舐めしゃぶってやろうか。今朝、お前の夢を見て勃っちまったから、お前の泣き顔を思い出しながらヌいたわ、とこいつの耳元でバラしてやろうか。そして、インターハイ予選前のあのときみたいに、こいつをまたどっかの部屋に連れ込んで犯ってやろうか。 青峰の喉奥に潜んでいたものは、すでに口内いっぱいに広がって唾液に滲んでいる。 だけど。 「放してくださいっ、ボトルが……落ちました!」 「――……。ははっ、この状況でボトルのことかよ」 白い顎をより持ち上げて、今にもむしゃぶり付きたい心地で唇を近寄せ、黒子に問う。 「なあ、テツ。やっぱ、今度、うちに来いよ」 「……っ、」 何度か繰り返しているこの問い。 言葉ごと青峰の息が降りかかった黒子のその唇が、一度きゅっと強く引き結ばれる。揺れていた水色の瞳が堅固な意志とともに射抜くように青峰を見返した。 「絶対、行きません……!」 「――」 こんな眼で、ああ、さっきも俺を見ていたな、と思う。 青峰が黒子にバスケの話をしたときだ。 (テツ) 三ヶ月も前に殴られた頬が……ズキリと痛む。 あの台風の後。同じ都内にいるこいつを、もうどうでもいいから好きに掻っさらいに行ってやろうかと、青峰は何度も頭に過らせていた。けれど、たまに黒子の姿を見掛けると、黒子はいつもバスケをしているのだ。火神や他の誠凛連中と懸命にバスケばかりしている。青峰にはどうせ勝てやしないのに、青峰と戦うための新しい技まで身につけて、そして、こんな眼で青峰を見る。 (テツ、お前が、そんなんだから) 黒子がこうもバスケに真剣で、不屈で、そんな強い眼で青峰を真っ直ぐ見るから。 だから、青峰もそれに応じてやるしかなくなる。 (そんなんだから……手ぇ、出せねぇじゃねーか) 黒子を捕まえて、こんなに間近に引き寄せても、キスすらできなくなってしまう。 「そうかよ」 黒子の「絶対、行きません」に定例のようにソレを返して、青峰は黒子を放した。 外れかけていた己のタガを掛け直すようにジャージのポケットに両手を突っ込む。 「青……」 「次は――ウィンターカップでは、ちゃんとフルタイム出てやる」 「っ、そんなの、当然です……!」 ハハっと軽く笑った後、眉間と口元を歪め、青峰は桐皇の畳部屋に向かってまたぶらりと歩き始めた。黙した黒子の視線を背中に感じたが、振り向かず、廊下の角を歩のままに曲がる。 落ちたボトルを黒子が拾ったかどうかは見なかった。 |
| FIN 後書を読む方は↓にスクロール |
| 火神が黒子のためにポカリをわざわざ買いに行ってるのに、青峰からのポカリを黒子がほいほいと気安く飲んでしまったら、火神の立つ瀬がちょっとないかもしれない……と、ポカリが各所で売り切れているという設定にしました。 (原作でもその辺りはうまくぼかされている気がします。黒子が青峰のポカリを本当に飲んだかどうかは不明です。明確に飲んでいる絵はありません。でも、黒子の汗が引いているので、青峰のポカリを飲んだんじゃないかと……私は確信してますが!! そして、火神がポカリを買って戻ったのかどうかも不明です。黒子も火神もポカリを手にしている絵は描かれていません) アニメ2期でこのシーンがどうなるか、すごく楽しみです☆ アニメでは……黒子は青峰のポカリを飲むんでしょうかね? |
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