「火神は、そんなにてめぇにやさしいかよ」 聞き慣れた、けれど懐かしい低い声。 息を呑んで顔をあげると、明るい電灯の下に背高い姿があった。辺りが暗くても、まるでひときわ強く輝く光のように立っている。 「あ……おみね、君」 「よう、テツ」 青峰は視線だけで軽く周囲を見渡してから、電灯の下から離れ、ゆっくりと黒子に近寄ってくる。 「火神は一緒じゃねーのか」 「? 火神君はとっくに帰りました。火神君に用ですか?」 また火神に1on1をふっかけに来たのか。 それとも、土曜にした1on1のことで火神に何か言いたいのか。 「……いや。誠凛に、お前と火神だけ姿がなかったからな。誠凛の近くのあの屋外コートにもいねーし。お前、携帯の電源、切ってるだろ。すげー久し振りにかけたのに、当然みたいに出ねーし。……で、なんとなく会場(ここ)に来てみた」 携帯――そういえば、火神を診てもらった総合病院で電源を切って、そのままにしていた。 青峰が自分に電話をかけたのかと、黒子はひどく意外に思った。 「今になって、お前を捜す羽目になるとはな。お前を見つけるの、大変なんだよ。せめて同じガッコーにいる間に何とかしときゃよかったぜ、めんどくせ」 ポケットに片手をつっ込んだまま、青峰が嘆息を吐く。 「僕を……捜してたんですか」 青峰が用があるのは火神ではなく黒子らしい。 今まで黒子を捜すどころか電話やメールさえろくにしてこなかった青峰が、久し振りに電話をかけた挙句、黒子が電話に出ないからと、わざわざ捜してここに来たのだと言う。決勝リーグまでもうあと数日というこんな日だ。どうしてそんな捜すまでして黒子に会いに来たのか。 見上げる視線で青峰に問えば。 青峰は決まり悪そうに眉間を顰め、チ、と小さく舌打ちをする。 「……お前が不憫で、さすがにちっと、ほっとけねー」 「っ?」 「ったく、さつきの奴……。どこが俺にそっくりだ? 似てる、ったって、そりゃ、どんだけ大昔の話だよ。ポジションが同じだけだろ」 さつき。青峰にそっくり。似てる。昔の話。同じポジション――PF(パワーフォワード)。 火神が昔の青峰にそっくりだと、そういえばプールサイドで桃井とそんな話をしたのだ。 「火神君のことですか」 「ああ。お前の目があんまり曇ってるようだからよ。あんなヘボい野郎をてめぇの『光』に選びやがって。アレじゃあ、お前の力をろくに引き出せねーだろ」 土曜日に火神と1on1をした結果、青峰が下した火神への評価がそれなのだろう。 一方的にやられるばかりで、ろくに動けなかった、と火神が言っていた。 だが、火神は足を痛めている。火神が最もその才能を発揮する並外れた跳躍力がほぼ使えない状態だ。 「火神君と1on1をした件は聞いています。でも、火神君は今、足を、」 「わーってるよ、足のことは。だが、それを差し引いたって、ありゃねーわ。なぜ、あの程度の奴を『光』に選んだ……いや、あの程度の奴しか選べねぇ誠凛に行ったのが、お前の間違いだろ、テツ。人事を尽くしてどーだの、緑間の言葉は好きじゃねーが、これに関してはあいつの言う通りだ」 「――」 「黄瀬に勝ったのも、緑間に勝ったのも、実力じゃねぇのはわかってんだろ? 黄瀬との練習試合は見てねーが、秀徳戦は秀徳のほうが明らかに上だった。そんでも、誠凛にはお前がいたからな。奇襲じみた方法で運よく首の皮一枚ギリギリ勝てたようなもんだ」 海常との練習試合も、秀徳との公式試合も、チームの総力として誠凛は明らかに両校に劣っていた。 奇襲じみた方法で運よく首の皮一枚でギリギリ勝てた。 それはどちらも否定できない。 でも。 「俺にあーいうのは一切効かねーぞ、テツ。俺はお前のことを知ってるからな。黄瀬や緑間より遥かにお前をわかってる」 「――青峰君」 肩に掛けているスポーツバッグの肩紐を、黒子はぎゅっと握り締める。 そして、青峰をまっすぐ見上げた。 「青峰君は、わざわざそんなことを言いに来たんですか」 「……あん?」 「僕は青峰君にも勝つつもりで決勝リーグに臨みます」 ぴく、と蠢いた青峰の目が細く眇められ、黒子を見おろす。だが、口元はまだ苦笑を浮かべている。 「お前が俺に勝つ……? いつからそんなつまんねー冗談を言うようになった」 「本気です。僕だけでは青峰君には勝てませんが、試合は僕一人で戦うわけではありませんから」 苦笑を浮かべる青峰の口元が、くっと大きくつり上がって歪む。 「……ハ……ッ、それこそクソつまんねー冗談だろ。てめぇ、どんだけ目が腐った? てめぇの力は強い光がなけりゃ生かせねぇ。あんなザコの淡い光じゃ、俺はフルタイム出る必要すらねーぞ」 ――あんなザコ。 「……っ」 かつて三軍だった黒子に『チームに必要ない選手なんていねーよ』と言ってくれた青峰が、今、足を痛めている火神のことをそんなふうに言うのか。 唇を小さく噛み締めて黒子が押し黙ったら。 浅黒い大きな手がポケットからすっと抜けて、黒子にゆっくり伸びてくる。スポーツバッグの肩紐を握っていた黒子の片腕を、青峰の手がそっと掴んだ。 「いーかげん、目ぇ覚ませ、テツ。な?」 久し振りに感じる青峰の手の感触。 じんわりと熱が滲む。黒子にとって、それは懐かしいあたたかさだったけれど。 「放してくださいっ!」 黒子は青峰のその手を振り払い、青峰から少し距離を取った。 「ッ、テ……」 「青峰君が誰よりも強いのは知っています。でも……ザコとか、火神君のことをそんなふうに言うのは、やめてください」 「――」 「僕は誠凛に入ってよかったと思っています。火神君に出会えたことも、すごくよかった」 全中三連覇を成し遂げた帝光中バスケ部のシックスマンでありながら、黒子は誰に顧みられることもなく、スカウトなども一切来なかった。三連覇後、すぐにバスケ部を退部したから、なおさらだったろう。 でも、黒子はただ闇雲に誠凛に入ったわけではない。 黒子なりに都内の高校をいろいろ調べて考えた末に、誠凛に行こうと決めた。 誠凛なら、自分が求めるバスケができるかもしれないと思ったからこそ、入ったのだ。 誠凛は無名の新設校であり、確かに強豪校のような実績や施設や指導者もない。選手層もずっと薄い。けれど、誠凛は、一年生しかいない創立一年目にして東京地区予選の決勝リーグに進んでいる。その決勝リーグで王者と呼ばれる強豪三校にトリプルスコアでボロ負けしたが、創立たった数ヶ月でそこまで進んだのだ、けして弱小校とは言えないだろう。 それに、誠凛には、「無冠の五将」と呼ばれる五人のうちの一人、「鉄心」木吉鉄平がいる。 会ったことはなく、名前しか知らないが、逆に黒子でもその名を知っていたほどの名選手だ。誠凛バスケ部の創立者であり、一年生しかいなかった誠凛が決勝リーグまで進む原動力ともなった。今年バスケ部に入部して以来、なぜかその木吉鉄平の姿を黒子は一度も見ていない。でも、木吉がバスケ部に在籍していることは確かなようだから、きっと何か理由があるのだろう。 無名の新設校。 だが、一年生だけで決勝リーグに進んだその可能性。 その上、「鉄心」の木吉鉄平がいる。 そして、何よりも、伝統的なガチガチの強豪校とは違って――帝光中のような所とは違って――「勝つことがすべて」だとチームを蔑ろにするようなところではないと思った。 だからこそ、黒子は誠凛に決めた。 「人事を尽くしていない」と緑間には言われ、青峰にもどうやら似たような誤解をされているようだが。 黒子は黒子が求めるバスケをするために人事を尽くした上で、誠凛というチームを見つけ、そこに入ったのである。 だから、黒子が誠凛に行ったのは、偶然でも、自暴自棄でもない。求めた必然だ。 その必然の中で、火神と出会えたことだけは、黒子にとって思いがけない偶然だった。 緑間とは違い、運命やら運勢やらを黒子はあまり信じていない。 でも、必然の末に入った誠凛で火神を見つけたその偶然だけは、自分の強運に感謝したくなるほどである。火神は「キセキの世代」とも渡り合えるかもしれない素質を秘めている。そして、黒子に拳を合わせてくれて、黒子と一緒に「キセキの世代」と戦ってくれる――黒子の新しい希望の『光』だ。 自分の望みを叶えるために、黒子は半ば火神を利用しているようなものだけれど。 でも、だからこそ、黒子は、火神としている今のバスケを大事にしたい。 「僕は……僕の『光』になってくれた火神君を信じています。誠凛の先輩達やみんな、そして、火神君とのバスケで、君を――青峰君を倒します」 「――」 黒子から手を振り払われた青峰は、眇めた半眼でしばらく黒子を見おろしていた。口元に浮かべていた苦笑はもう消えている。やがて、いかにも大きな溜息を、はーぁ、と肩を下げるように吐き出して、青峰はぼそりと小さく呟く。 「……カガミ、カガミ、カガミ……るせーんだよ」 「っ?」 暗がりの中、青峰がゆらりと一歩近づいた。 先刻、黒子が少し広げた青峰との距離をそれで詰められた。寄せられた圧迫感に、黒子の足が自然に後ずさりしようとする。が、浅黒い手がすぐに動いて、黒子の腕を捕えた。 「っ、青峰く……?」 「寝言を聞いてやるのも、つれーわ。あー……もーいい、口でどうとか言うのは止めだ」 腕をまた掴まれた、と思った矢先にその腕を青峰に強く引っ張られ、黒子の足もそこから動く。 先刻とは比べものにならない物凄い腕力だった。振り解くなんてとてもできず。黒子は青峰に腕をぐいぐいと引っ張られ、身を引きずられるように、広い会場前の階段を登らされる。 「どっ、どこへ……っ、行くん、ですかっ」 「どっか、適当」 「っ?」 適当、と青峰は黒子を引きずって会場の入口前に来るが、時間も時間であり、ガラス製自動ドアの入口は「閉館」の立て看板が置かれて閉まっていた。 だが、青峰はその閉まった自動ドアの前を迷いなく横切って黒子を引き、少し脇のほうにある鉄製扉のノブをカチャリと捻る。 「やっぱ、こっちは開いてんな」 この会場は、都内で室内球技をやっていて何度も大会に出ているような者には馴染みのある場所だ。 地区予選の最初のほうはどこかの学校の体育館で行われることも多いが、予選も上のほうへ進んでいくと、やはりこういった大きな会場で行われるようになる。黒子も帝光中時代に何度か来ている会場だし、青峰に至ってはおそらく小学校の頃からバスケ部のレギュラーで繰り返し来ていた所に違いない。 「青峰君、閉館中なのに……っ」 「あー? 閉館中だから、いーんだろが。来いよ」 「……?」 閉館中の総合体育館内は、とても静かだった。 照明も通路の要所や自販機くらいしか点いておらず、薄暗い。事務室や警備室などには職員がいるのかもしれないが、見渡す周囲に人の気配はなかった。 どこへ行くのかと黒子が訊けば、適当と青峰は答え。 閉館中なのにと黒子が言えば、閉館中だからいいと青峰は返した。 青峰がどういうつもりなのか、黒子にはわからず。でも、青峰の腕が有無を言わせない強さで、まったく振り解けない。ぐいぐいと強引に引きずられ、黒子は困惑するまま薄暗い通路を歩かされて、やがて、競技者用の控室の一つに連れ込まれた。 無人だった室内は、当然、照明など点いていない。 だが、扉に磨りガラスの小窓が付いていて、通路から多少の光が射し込んでくる。おかげで、照明を点けなくても真っ暗ではなかった。 「あの……ここに何かあるんですか?」 わけがわからず、黒子が暗い室内を見渡していたら。 掴まれている腕を、向きを変えるように捻り引かれ、さらに肩をトンと突き押された。反動で黒子の足元が少しよろけ、扉横の壁に黒子の背が当たる。 「だから――適当だって。誰もいねぇとこならどこでもいーんだよ」 「ッ?」 やけに近い位置で響いた青峰の低い声。黒子はぎくりとする。 顔を上げたら、息も届きそうな間近に青峰の精悍で剣呑な貌がある。黒子を見おろすその眼が、小窓から射し込む光に暗く反射していた。 「あお、峰、くん」 「別に説得しに来たわけじゃねーしよ。今さら説得しても、決勝リーグで、てめぇんとこが俺にボロ負けすんのを回避できるわけじゃねぇ」 青峰の手が黒子の片頬に触れる。 バスケットボールを何年も扱っているその大きな手は、指や掌の皮が厚く、肌へのあたりがやや固い。 それが、ゆるりと黒子の頬を撫でる。 「俺は、てめぇヤりに来てんだよ。勝手に消えて、さんざんイラつかせた上に、あんなザコ野郎で失望までさせやがって。そんで、カガミ、カガミ、かよ? ……頭ブチ切れるだろ」 |
| FIN |
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